リオタールによる定義 [編集]
リオタールは『ポストモダンの条件』を著したが、彼によれば、「ポストモダンとは大きな物語の終焉」なのであった。
「ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わる」と言ったコジェーヴの強い影響を受けた考え方である。例えばマルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わり、高度情報化社会においてはメディアによる記号・象徴の大量消費が行われる、とされた。この考え方に沿えば、"ポストモダン"とは、民主主義と科学技術の発達による一つの帰結と言える、ということだった。
様々な"ポストモダニスト" [編集]
"ポストモダニスト"と言っても、人が自らを指して"ポストモダニスト"だ、と言っているのではないことに深く注意する必要がある。あくまで一部の評論家が勝手に"ポストモダニスト"と形容しただけのことである。
それでも参考までに"ポストモダニスト"を挙げるならば以下のようになる可能性はある。
デリダ、ラクー=ラバルト、ナンシー等を中心とする、脱構築を主とするデリディアン。
ランシエール、バディウ、バリバール等を中心とする、アルチュセールに強く影響を受けたアルチュセリアン。
フーコー、アガンベン、バトラー等の、生政治の歴史的展開の研究や、クィア理論、ジェンダーから現代批判を行なうフカルディアン(アガンベンはそこまでいかないが)。
ドゥルーズ、ガタリ、ネグリ等の近代的社会=経済システムに最も強い批判を投げかけるドゥルージアン
他にロラン・バルトやバフチンらを経由しているクリステヴァ、ラカンの影響下にあるジジェク、ネオプラグマティズムのローティ、メディアに対する鋭い批判をなげかけるボードリヤール等がいる。
この人々のなかで自らの概念として「ポストモダン」を引き受けたのはリオタールだけである。フーコーやドゥルーズなどは、この言葉に強い嫌悪を表明した。
文学 [編集]
ポストモダン文学を参照。
社会学 [編集]
社会学では、ポストモダン哲学の影響を強く受け、従来の部分/全体の二元論的発想、近代的自我に根ざした社会分析を離れつつも、難渋かつ抽象的な哲学論議に深入りすることなく、「主体の脱中心化」のテーマに則った経験的記述の方法論が彫琢されている。
代表的には、「アクターネットワーク理論」のブルーノ・ラトゥール、「移動と場所の社会学」のジョン・アーリ、「非表象論」のナイジェル・スリフト、そして、レジス・ドブレに始まるメディオロジーを挙げることができる。
日本映画
バレエ
結晶学
ビリヤード
栄養ドリンク
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少子化
動物園
アレルギー
関東
為替レート
おつまみ
歌舞伎
運送
自動車工学
鳥インフルエンザ
サーフィン
薬膳
カバディ
高齢出産
建築・デザイン [編集]
建築においては、装飾を排して「禁欲的な四角い箱」とも評される機能主義・近代合理主義に基づくモダニズム建築に対する反動として現れた。多様性、装飾性、折衷性、過剰性などを特徴とする建築のことで、1980年代はポスト・モダンの時代であると盛んにいわれ、それらの手法を顕著に具現し内・外観を特徴づけられて多くが建設された。とくに日本では「バブル経済」とも呼ばれた好景気に支えられて、ふんだんな建設費を背景に様々な実験とも見られる建築デザインが試みられ、長期の企画?工事期間を要求される建設事業においてはバブル崩壊後の90年代にまでその後遺は及んだ。一般に、現代人が外見的に見て特異な印象をうけるその時代の建築物は、ポスト・モダンの影響を受けたデザインのものであることが多い。(→「ポストモダン建築」を参照)
当初、「ポスト・モダニズム」という言葉も使われたが、「イズム(-ism)」とするほどの方法論構築もかなわず、のちには「ポスト・モダン」として定着し、単なる流行現象として扱われ現在では余り用いられることはない。元来は近代建築の合理的画一性や単調さに対しての反省や批判からおこった建築スタイルではあるが、あまりの過剰性・奇異性などのあおりを受けて次の時代への可能性に至らず、模索の範囲に留まった一過的な建築表現として片付けられようとしている。一部には近代直前のアール・デコやアール・ヌーボー様式などの装飾性への参照も見られたり、あるいは脱構築主義建築のように破壊的な挑戦もあったが、建築の商業的ファッション性やセンセーショナリズムの枠の中だけに留められ、外観や内装の表面的な部分だけが情報化の渦に飲み込まれてしまっている。また、この時代の洗礼を受けた当時の若手が中堅設計家となった現代にいたっては、次代の明確なデザイン理論を模索する途上で、設計の場面あるいは実際に竣工した建築において「ポスト・モダン」の影響を受けた傾向もしばしば見られる。
ポスト・モダンのプロダクト・デザインには、イタリアのデザイン集団「メンフィス」(Memphis)がある。デザイナーのエットレ・ソットサスを中心に1981年に結成され、当初はミケーレ・デ・ルッキらイタリア人で構成され、後にインターナショナルになった。独自の形態、明るい色彩に特徴があり家具・生活用品などにその無国籍なデザインと才能が評価され、世界的に知名度が高まった。好景気に沸いた1980年代の東京には世界中からポスト・モダンデザインのインテリアや商品、什器や建築物があふれた。