2009年10月04日

女学生が日常的に着る服として

明治・大正時代に学校の内外で女学生が日常的に着る服として、女性用の行灯袴を好んで着用し、女学生の袴姿が流行した。袴は、和服である。これが日本文化として定着し、現在でも、入学式・卒業式などで、袴を正装の一部として好んで着用する女学生がいる。女性は華族や女子教育にあたる教員など一部を除きもっぱら和服であったが、大正時代後期から、女学校の制服にそれまでの袴に代えて洋服であるセーラー服が採用される例が増える。
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日本の女性の衣服を洋服に変えていこうと主張・運動する女性たちがいた。1922年5月4日から11日までに開かれた生活改善講習会において、塚本はま子は「衣服の改善」という題の講習の中で、「現代社会に適合した美的且つ便利、経済的な改善を斬新的に行なっていくこと。方向としては洋服のみの生活を示唆している」と述べた。嘉悦孝子(1867-1949)が『經濟改善 是からの裁縫』(けいざいかいぜん これからのさいほう)(日本服装改善会出版部、1922年)の序文で「私は日本服装改善の到達点は、洋服か洋服に近いものであらうと存じます」と書いた。

1923年の関東大震災では、身体の動作を妨げる構造である和服を着用していた女性の被害が多かったことから、翌1924年に「東京婦人子供服組合」が発足し、女性の服装にも西洋化が進むことになる。

2009年09月26日

松本の落第生学級は

松本の落第生学級は、他からの軽侮や自暴自棄を招き、教員も担任を嫌がるなどの弊害のため4年間で終了した。しかし20世紀初め頃から、「試験制度による学習困難者の顕在化」、「学級が指導の単位として同質化したこと」、「特別支援教育に対する教師の関心」、「就学者増加による学級の複数化が可能になったこと」という四つの条件が満たされ、特別学級を成立させる環境が生まれたため、日本各地で特別学級の設置例が増加した。長野県では教育県と呼ばれる風土の中、いち早くこういった条件が整ったという事情もあり、上記のような先駆的な例が多い。

戦前においては用語に多くの混乱も見られたが、明治末期には学業成績の低い児童を「劣等児」と呼び、知能の低い児童を「低能児」と呼ぶ共通認識ができた。この二つをはっきりと分けて対応する例も多かった。
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現代との違いは、特殊学級の対象の幅が広かったことである。例えば1931年の研究協議会では、一般小学校の児童の約20%が知能指数90以下であるとし、これを「精神薄弱児童」と分類している。そしてIQ70?90を軽度の精神薄弱児童として「促進学級」に収容し、IQ70以下を重度の精神薄弱児童として「補助学級」に収容するとしている。現代の知的障害の基準が通常はIQ70以下であることから見ると、非常にボーダーラインを高い位置に置いていることが分かる。なおIQ70以下の出現率は約2%であるため、ボーダーを20上げると10倍の人数差が生じることになる。

2009年09月14日

3D飛行を行う機体は

3D飛行を行う機体は機体重量に比べて推力が大きく、通常は機体重量の1?1.5倍以上の推力を備えている。機体の翼面荷重(機体重量/翼面積)は低く、大面積で舵角の大きな操舵面を備えている。このような仕様の機体は、ホバリング、ハリヤー、トルクロール、ブレンダー、ローリング・サークルなど、目を見張るような運動を、失速速度以下で行うことが出来る。普通の飛行や曲技は、翼の揚力を基にして行われるが、上記の運動はプロペラの推力を基にして行われる。(訳注:翼の揚力で機体を支えるには、失速速度以上で飛行しなければならない)

室内用プロフィル型の3D飛行機(例えば、イカルス社の「ショック・フライヤー」機)は体育館の中のほか、風の無いときには室外でも飛ばせるので、多くのモデラーに対して巨大な市場を開拓した。この種の機体は、リチウム電池を電源とした、小型の直結型または減速型のブラシレス・モーターを装備している。また、大型のモーターや4サイクルエンジンを装備する大型3D飛行機もある。
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エアロバティックスとは、普通には行われないような異常な飛行姿勢を含んだ飛行運動を、行ってみせることである。エアロバティックス飛行は、訓練、レクレーション、娯楽として行われる。

エアロバティックス飛行の多くは、機体の3軸周りの回転運動になる。つまり、前後軸を中心としたロール(横転)、左右(ピッチ)軸を中心としたループ(宙返り)、更にスピン(きりもみ)のような複雑な運動では垂直(上下・ヨー)軸中心の回転も絡む。

2009年09月02日

近代西洋儀式魔術

現代の英米を中心に行われている儀式魔術は、黄金の夜明け団とその後継団体による19世紀末から20世紀前半にかけての儀式魔術復興運動を主要な起源とする。アレイスター・クロウリーは「魔術とは意志に応じて変化を生ぜしめる学にして術である」と定義した。クロウリーは自分の提唱する魔術を旧来の魔術の洗練されていない部分から区別するために Magick という英語の古い綴りを用い、自分の魔術体系の独自性を強調した。以降、この Magick という言葉はアレイスター・クロウリーの影響下にある魔術の流儀を示す用語として使われ、その意味において日本ではマギックと表記されることもある。が、近年の北米などでは、単に現代オカルティズムとしての魔術全般を奇術(ステージマジック)から区別するために magick と表記することも多い。
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系統について少し専門的な区別すると、黄金の夜明け団が解散後の団体でのカバラ系儀式魔術、混沌魔術(ケイオス)、セレマなどと分類される。また、これと関連する分野としてウイッカ、ウイッチクラフトなども魔術的な側面をもっている。またブードゥー教などの密儀宗教と結び付けての研究・実践なども行われている。具体的な修行法には、逆向き瞑想、四拍呼吸、アストラル投射などがある。多くの修行法には視覚化(ビジュアライゼーション)の能力が基本として要求される。

魔術は不思議なものとして認知されている。奇術を行う際には、行われるものがタネも仕掛けもある奇術であるというよりも、不思議な魔術であると喧伝された。

2009年08月18日

日本青年館の募金運動の時期は

日本青年館の募金運動の時期は、20近い府県で再建を含めた地元の青年会館建設運動が起こる時期と重なっており、金銭的負担が各府県団の重荷に過ぎたため当初の計画通り募金運動が進まなかったという見方がある一方、日本青年館の募金運動を成し得た事が地元の青年会館建設運動の大きな自信につながったという見方もある。

かくして青年団による募金に加え、所有財産であった「浴恩館」「千葉修練場」の売却益、年金福祉事業団からの特別融資、日本船舶振興会や日本自転車振興会からの助成金、さらに文部省や全国都道府県など行政からの補助金などにより建設資金は着実に集まっていった。特に文部省からは調査研究費も含め総額7億2千300万円の補助金が交付されており、国が民間の施設にこれだけ大型の補助を出したのは史上初めてであった。

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そして1979年(昭和54年)2月1日、常陸宮正仁親王臨席のもと竣工式が執り行われ、総工費54億円、地上9階地下3階の2代目の日本青年館が誕生した。

同館の宿泊用の客室としては、細長く畳敷きで3?4人用の10畳程度の和室といった間取りの小部屋が多く、和洋大小81室の宿泊室を持つ。これは、青年団行事において青年問題研究集会が開催されるため、分科会型式の座談会用小部屋を多数確保するためである。

2009年08月06日

判旨

本条例は、暴走族の定義において社会通念上の暴走族以外の集団が含まれる文言となっていること、禁止行為の対象及び市長の中止・退去命令の対象も社会通念上の暴走族以外の者の行為にも及ぶ文言となっていることなど、規定の仕方が適切ではなく、本条例がその文言どおりに適用されることになると、規制の対象が広範囲に及び、憲法21条1項及び31条との関係で問題がある。

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しかし、本条例19条が処罰の対象にするのは、17条で規定する中止・退去命令に違反した場合に限定される。そして、本条例の目的規定である1条は、「暴走行為、い集、集会及び祭礼等における示威行為が、市民生活や少年の健全育成に多大な影響を及ぼしているのみならず、国際平和文化都市の印象を著しく傷つけている」存在としての「暴走族」を本条例が規定する諸対策の対象として想定するものと解され、本条例5条、6条も、少年が加入する対象としての「暴走族」を想定しているほか、本条例には、暴走行為自体の抑止を眼目としている規定も数多く含まれている。また、本条例の委任規則である本条例施行規則3条は、「暴走、騒音、暴走族名等暴走族であることを強調するような文言等を刺しゅう、印刷等をされた服装等」の着用者の存在(1号)、「暴走族名等暴走族であることを強調するような文言等を刺しゅう、印刷等をされた旗等」の存在(4号)、「暴走族であることを強調するような大声の掛合い等」(5号)を本条例17条の中止命令等を発する際の判断基準として挙げている。

2009年07月25日

かつては玩具花火とも呼ばれたが

かつては玩具花火とも呼ばれたが、日本煙火協会での表記はこちらに統一されている。購入や使用に免許が不要な花火の総称で、線香花火のような手で持つものが代表的なものであるが、小型ではあっても打上花火になっていて、筒があって上空で破裂するものも存在する。日本では日本煙火協会が出荷品の検査を行っており、合格したものには「SFマーク」がつけられる。

かつては駄菓子屋などで単品でも発売されていたが、現在では一つの種類の数本入りから複数種類の花火100本くらいを詰め合わせにしたものが、晩春から初秋にかけてスーパーマーケットやホームセンター、コンビニエンスストアなどで売られている。
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帰省や旅行の際に楽しもうと出発前に購入しておくことがあるが、航空機には安全上の理由から航空機内への持込み、受託手荷物の取り扱いも出来ない[1]ので注意を要する。

ねずみ花火
炎を吹き出すタイプのひも状の花火を、円形に組んだもの。火を点けて炎が吹き出すと重心に対して回転を与える向きの力がかかるため、地面に置かれた場合、高速に回転してその勢いで地面をはい回る。円形の炎がシュシュッと音を立ててはい回る様がネズミに喩えられたためにこの名がある。最後にパンとはじけるような仕掛けを施されたものが一般的。最近は使い方が分からない人が多く、やけどをする人が多いようである。

2009年07月12日

バークリー音楽大学

バークリー音楽大学(バークリーおんがくだいがく、Berklee College of Music)は、アメリカのマサチューセッツ州のボストンにある著名な音楽大学である。2004年の時点で3,800名の学生と430名の起用職員を擁している。学費は、年間およそ20,000アメリカドル。アメリカ合衆国の大学、単科大学の中で、バークリーは、外国人留学生の割合が最も高く26%以上に及んでいる。留学生は、世界の70ヵ国以上の国々から来ている。
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バークリー音楽大学は、1945年ローレンス・パークによって「シリンジャー音楽院」(Schillinger House of Music)という名前の学校として創立された。これはパークの恩師であったジョセフ・シリンジャーの名前にちなんだもので、もともとこの学校の目的は、シリンジャーシステムという音楽のハーモニーの手法を教えるということにあった。1954年学校のカリキュラムが拡張され、パークは、学校名を彼の息子リー・パーク(Lee Berk)の名前をとって、またそれに加えてカリフォルニア州の著名な大学カリフォルニア大学バークレー校を連想させるように、「バークリー音楽学校」(Berklee School of Music )と改めた。

1973年、学校は認可を得て、「バークリー音楽大学」(Berklee College of Music )と三度その名を改めた。ただし、創立者の息子で、学校の名前がそこから由来しているリー・パークは、自分自身は音楽を学ぶことはなかった。

2009年06月29日

15世紀以来ハプスブルク家の所領で

15世紀以来ハプスブルク家の所領で、カルロス1世・フェリペ2世の時代を通してスペイン領となっていたネーデルラント17州では1568年より八十年戦争(?1648年)がはじまった。

16世紀前半のイギリスやフランスのカトリックに対するスペインの支援は混乱をまねき、属領ネーデルラントの商人や貴族のあいだにはカルヴァン派の信仰が浸透して、かれらはゴイセン(乞食)と呼ばれた。そもそもスペイン本国の産業は弱く、アメリカ大陸で獲得した富は毛織物工業で栄えたフランドルへ流出していたのである。

八十年戦争の勃発は、スペインにとって1587年の無敵艦隊の敗北とともに没落の契機となった。それに代わり世界の海上権を握ったのが1581年に独立を宣言し、三十年戦争後のウェストファリア条約(1648年)で独立が正式に各国により承認されたオランダ(ネーデルラント連邦共和国)であった。
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共和政をとったオランダは1602年にオランダ東インド会社を設立して、ジャワ、スマトラ、モルッカを植民地とし、香料貿易をさかんにおこなって、その拠点をバタヴィアに置いた(1619年)。さらに、台湾南部のゼーランディア城(1624年)、北米のニューアムステルダム(1626年、西インド会社の設立は1621年)、南アフリカのケープ植民地(1652年)、南アジアではセイロン島のコロンボ(1656年)などを拠点に海外に勢力を拡大する。これによってアムステルダムはリスボンに代わって西ヨーロッパ最大の商業・金融都市として発展した。

タスマンによる南太平洋探検(1642年?1644年)もおこなわれ、日本に対しては1609年に平戸に商館を置き、1639年のポルトガル船来航禁止(鎖国の完成)以後はヨーロッパで唯一の貿易国として長崎での対日貿易を独占した。

2009年06月11日

マルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系

リオタールによる定義 [編集]
リオタールは『ポストモダンの条件』を著したが、彼によれば、「ポストモダンとは大きな物語の終焉」なのであった。

「ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わる」と言ったコジェーヴの強い影響を受けた考え方である。例えばマルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わり、高度情報化社会においてはメディアによる記号・象徴の大量消費が行われる、とされた。この考え方に沿えば、"ポストモダン"とは、民主主義と科学技術の発達による一つの帰結と言える、ということだった。


様々な"ポストモダニスト" [編集]
"ポストモダニスト"と言っても、人が自らを指して"ポストモダニスト"だ、と言っているのではないことに深く注意する必要がある。あくまで一部の評論家が勝手に"ポストモダニスト"と形容しただけのことである。

それでも参考までに"ポストモダニスト"を挙げるならば以下のようになる可能性はある。

デリダ、ラクー=ラバルト、ナンシー等を中心とする、脱構築を主とするデリディアン。
ランシエール、バディウ、バリバール等を中心とする、アルチュセールに強く影響を受けたアルチュセリアン。
フーコー、アガンベン、バトラー等の、生政治の歴史的展開の研究や、クィア理論、ジェンダーから現代批判を行なうフカルディアン(アガンベンはそこまでいかないが)。
ドゥルーズ、ガタリ、ネグリ等の近代的社会=経済システムに最も強い批判を投げかけるドゥルージアン
他にロラン・バルトやバフチンらを経由しているクリステヴァ、ラカンの影響下にあるジジェク、ネオプラグマティズムのローティ、メディアに対する鋭い批判をなげかけるボードリヤール等がいる。
この人々のなかで自らの概念として「ポストモダン」を引き受けたのはリオタールだけである。フーコーやドゥルーズなどは、この言葉に強い嫌悪を表明した。

文学 [編集]
ポストモダン文学を参照。

社会学 [編集]
社会学では、ポストモダン哲学の影響を強く受け、従来の部分/全体の二元論的発想、近代的自我に根ざした社会分析を離れつつも、難渋かつ抽象的な哲学論議に深入りすることなく、「主体の脱中心化」のテーマに則った経験的記述の方法論が彫琢されている。

代表的には、「アクターネットワーク理論」のブルーノ・ラトゥール、「移動と場所の社会学」のジョン・アーリ、「非表象論」のナイジェル・スリフト、そして、レジス・ドブレに始まるメディオロジーを挙げることができる。
日本映画
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歌舞伎
運送
自動車工学
鳥インフルエンザ
サーフィン
薬膳
カバディ
高齢出産

建築・デザイン [編集]
建築においては、装飾を排して「禁欲的な四角い箱」とも評される機能主義・近代合理主義に基づくモダニズム建築に対する反動として現れた。多様性、装飾性、折衷性、過剰性などを特徴とする建築のことで、1980年代はポスト・モダンの時代であると盛んにいわれ、それらの手法を顕著に具現し内・外観を特徴づけられて多くが建設された。とくに日本では「バブル経済」とも呼ばれた好景気に支えられて、ふんだんな建設費を背景に様々な実験とも見られる建築デザインが試みられ、長期の企画?工事期間を要求される建設事業においてはバブル崩壊後の90年代にまでその後遺は及んだ。一般に、現代人が外見的に見て特異な印象をうけるその時代の建築物は、ポスト・モダンの影響を受けたデザインのものであることが多い。(→「ポストモダン建築」を参照)

当初、「ポスト・モダニズム」という言葉も使われたが、「イズム(-ism)」とするほどの方法論構築もかなわず、のちには「ポスト・モダン」として定着し、単なる流行現象として扱われ現在では余り用いられることはない。元来は近代建築の合理的画一性や単調さに対しての反省や批判からおこった建築スタイルではあるが、あまりの過剰性・奇異性などのあおりを受けて次の時代への可能性に至らず、模索の範囲に留まった一過的な建築表現として片付けられようとしている。一部には近代直前のアール・デコやアール・ヌーボー様式などの装飾性への参照も見られたり、あるいは脱構築主義建築のように破壊的な挑戦もあったが、建築の商業的ファッション性やセンセーショナリズムの枠の中だけに留められ、外観や内装の表面的な部分だけが情報化の渦に飲み込まれてしまっている。また、この時代の洗礼を受けた当時の若手が中堅設計家となった現代にいたっては、次代の明確なデザイン理論を模索する途上で、設計の場面あるいは実際に竣工した建築において「ポスト・モダン」の影響を受けた傾向もしばしば見られる。

ポスト・モダンのプロダクト・デザインには、イタリアのデザイン集団「メンフィス」(Memphis)がある。デザイナーのエットレ・ソットサスを中心に1981年に結成され、当初はミケーレ・デ・ルッキらイタリア人で構成され、後にインターナショナルになった。独自の形態、明るい色彩に特徴があり家具・生活用品などにその無国籍なデザインと才能が評価され、世界的に知名度が高まった。好景気に沸いた1980年代の東京には世界中からポスト・モダンデザインのインテリアや商品、什器や建築物があふれた。